奈良県中部の注文・分譲住宅専門店ウッディホーム/山本工務店
ウッディホーム 山本工務店


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※私の父は工務店をしていました。
私が幼い頃、父はスーパーカブの荷台に道具箱を積んで仕事に行ってました。
私が小学校になるとよく現場の掃除や資材の運搬をさせられました。
家族総出で家の掃除をして帰りは時々食事をして帰る。食事が待ってると一生懸命掃除をしました。
しんどかったですが楽しい思い出です。

普段は仕事ばかりで家にいない父でしたがお盆休みは旅行に連れていってくれました。

小学校5年生のとき楽しく旅行をしている時旅館に一本の電話が入りました。

「家が倒れたのですぐに帰れ」楽しい旅行は中止になり、すぐに帰りました。

台風並みの強風が吹いたため上棟したばかりの家が倒れてしまったのです。
子供心にこんな大変な仕事はイヤだなと思いました。

子供のときは掃除・運搬をしていただけですが汚いし、しんどいし、本当にイヤな仕事だと思いました。

また私は手先があまり器用ではなく工作もうまくなかったので自分に向いてない仕事だと感じていました。

父の方も施主様と引き渡した後にお金を払ってもらえないトラブルがあったため「こんなしんどい仕事はお前はするな」と言ってました。

それで私は歯科器械メーカーの営業として勤めました。

甘い考えで楽して勤めようと思ってましたが現実はきびしいものでした。器械の取付・運搬はやらされるは、修理もやらされるは、営業といっても作業服と工具は常に持ち歩く。そんな仕事でしたが何か物足りなさを感じ「オレの建てた家はずっと残っている、そこを通るたびに思い出し、自分の作品が残っているのでやりがいがある」という父の言葉を思い出し、自分で最初から最後までできるやりがいがある工務店にかけてみようと思いました。

工務店の二代目と言ってももともと大工さんと社長しかいない会社でしたので私も大工修行から始めました。
夕方5時まで働き夜は建築専門学校に2年行きました。

私はもともと工務店が好きではなく、職人の世界にも最初は馴染めませんでした。
また高い所での作業、暑い日・寒い日の作業、刃物を使うため常に危険と隣り合わせの作業、体が小さいので体力的にしんどかったし、腰が悪かったので常に痛かったりで、最初の3年ぐらいはいつやめようか毎日考えてました。

そんな大工に不向きな私でもだんだんと仕事ができるようになり楽しくなってきました。
最近ではプレカットになりましたが、昔は墨付けをして手加工をして上棟をしていたので私も5年目に初めて墨付けをして上棟をやりました。母屋(屋根の下地材です)の高さを間違えたため一日で棟は上がらずつらい思いをしました。

それでも上棟から完成まで自分一人でできる様になり「大工ってとてもおもしろくて楽しい仕事だ」と思えるようになりました。
どんなにつらいことがあっても真剣に取り組んでいけば道は開けていくものだとつくづく感じます。

父の様子がおかしくなってきたのはそれから2年ほどしてからです。
大工をやりながら父の仕事も少しやりました。父は昔の職人気質でしたので自分でやれるうちは自分でやるというタイプでしたので全部はまかせてもらえず父は死去しました。

父が死んでからはもう必死になって仕事をしました。一人でしたので現場管理・見積り・集金・打ち合わせ・経理・掃除・すべて一人でやりました。でもとても充実していて楽しかったです。

先日、引き渡して10年以上経っている家へおじゃますることがあり「大工さんまだ来られてるの、あのときは本当によくしてもらったわ。丁寧に建ててもらったので喜んでいます」と言ってもらえることが何よりうれしいです。

お客様、協力業者様、職人さん、すべての方と信頼関係を築いていくことでいい家は出来上がります。

私は父親を尊敬し、工務店を残してくれたことに感謝しています。また今まで父親・私を支えて下さったお客様、協力業者、職人さん、従業員、すべての方々に感謝します。

私は誓います。これまで建てて下さったお客様、工務店を残してくれた父親、私の姿を見て育つ娘に誇れる家しか建てません。
ウッディホーム・山本工務店で建ててもらってよかった。
一生そう思ってもらえるために。


ウッディホーム 山本工務店 代表者

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